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失われた古き良きカルチャーをよみがえらせたい
-----まずはブルーグルーヴはどういう店か教えていただけますか。
1936年から、40年代、50年代を中心に70年代までのビンテージ・ハーレーダヴィッドソンを主に扱っています。僕の主な仕事は、アメリカを横断しながらバイクを買い付けて来るんです。ニューヨークからロサンゼルスまで1万キロほどトラックで走ることも。それで納屋に何十年も眠っているハーレーを買い付けたり、スワップミートで目利きしてバラバラになったパーツを買って来る。そして、ここでネジ1本まで全部バラバラにして、完全にオーバーホールして日本全国のお客さんに届けます。
失われた古き良きカルチャーをよみがえらせたい
-----まずはブルーグルーヴはどういう店か教えていただけますか。
1936年から、40年代、50年代を中心に70年代までのビンテージ・ハーレーダヴィッドソンを主に扱っています。僕の主な仕事は、アメリカを横断しながらバイクを買い付けて来るんです。ニューヨークからロサンゼルスまで1万キロほどトラックで走ることも。それで納屋に何十年も眠っているハーレーを買い付けたり、スワップミートで目利きしてバラバラになったパーツを買って来る。そして、ここでネジ1本まで全部バラバラにして、完全にオーバーホールして日本全国のお客さんに届けます。
アメリカはもとより世界でも、ブルーグルーヴのようにビンテージ・ハーレーを突き詰めたショップは少ない。海外からも毎週のようにファンが訪ねてくる。
-----ビンテージ・ハーレーは人気があるんですか?
日本はもちろん、海外からもこのショップにはお客さんが来ますね。ビンテージ・ハーレーの価値も高まっています。1936年の工場出荷のままのハーレーナックルヘッドの現存数はおそらく世界に5台ぐらいですが、その1台が7、8年前に本国のオークションに出された際は、アメリカの有名ロックミュージシャンが落札し、当時で75万ドルだったと言われています。今はそれ以上の価値があるもの。「あの何年式のハーレーはあそこにある」と世界のマニアが把握している状態ですね。
-----それにしてもアメリカ大陸を横断して買い付けるとは、手間も時間もかかりますよね。
ビンテージ・ハーレーを扱うショップは日本にも何店舗もありますが、毎年のようにアメリカを横断しながら買う、というのは世界でも僕くらいしかいない。今となっては、アメリカ人ですら中々いないわけですよ。それを僕が日本から来てやっているものだから、「お前はクレイジーだな」ということで、皆よくしてくれるところもあります。ただ「命がけ」のロードトリップも沢山ありますよ。
-----えっ、命がけ!?
アメリカの田舎街へ行けば、未だに銃社会。買い付けは、ほとんどがキャッシュディールですから、かなりの用心をする。その様なエリアへ行けば銃声を聞くこともあれば、気を抜けば買い付けをしたばかりのハーレーが満載のトラックを盗まれかねない。亭主はインターネットもメールもやらないようなおじいさん達。中には「日本に持って帰るなら売らねえぞ」なんて言う人もいるわけです。でも、たいていそんなオールドバイカーのガレージにギターがあるからブルースを弾くと、もう「お前はオレの息子だ」みたいにコロッとなることも(笑)。そこがアメリカ人のいいところでもある。とにかく毎回イーストコーストからカルフォルニアに着いた時の旅の安堵感は、やっと肩の荷が降りるといった感じです。
ギターリストとしても活躍するTAKAさん。アメリカにバイクを買い付けに行った時に、音楽がコミュニケーションツールになることも
-----そこまでして追い求めるビンテージ・ハーレーの魅力とは?
車もギターもビンテージが好きですが、やはり唯一無二な存在だからですよね。自分達にとってはそれが最高にクールだと思えて、それを越えるものがないわけです。その時代にしか作れなかったシェイプですからね。ですが、今アメリカの日常からもそのような古き良き時代のモノが消えてしまっている。だから、去年も1964年のシボレー・エルカミーノでカルフォルニアを旅しましたが、フリーウェイで古いアメ車に乗っているのなんて自分だけ。街からも昔ながらの景色が消えてしまっている。だから、今となって、アメリカ人もブルーグルーヴまでわざわざ足を運ぶわけですよ。そして、古き良きアメリカをここで再発見するという現象になっている。世界を見渡してもブルーグルーヴの様なスタイルを持ったビンテージ・ハーレー・ショップは少ないんだな、ということをふと気付かされることがある。でも、自分はそういうものを未だに追いかけているワケだけれど、今となっては逆に追いかけられる立場になった。不思議なものですね。
-----何十年も前のバイクをレストアするのは難しいのでは?
アメリカは車やバイク、音楽にも大らかさがあります。大陸も広いし、長さの単位もセンチの2.5倍のインチ。そういう感覚の元にプロダクトが生まれ、彼らのライフスタイルがある。僕らはそれを外から見ているから、いいところだけをつまめるんですよ。ビンテージ・ハーレーでいえば日本人はやはり器用だから、修理の方法もすごく細かい。アメリカの田舎道では走れば調子が良くても、渋滞の多い日本の交通事情では持ち堪えられない。30年前の日本では古いハーレーを直せる人は少なかったと思うんですよ。ですが、僕らがみんな経験を積んでスキルが上がって完璧に近いレベルの修理が出来るようになった。いつも間にかアメリカ人より修理技術と仕上げが上に行っている部分もあるんですよね。ただ、そのアメリカの大地が造り出す大らかさだけは日本では成し得ない部分。だからいつまでも追いかけているのだと思う。
-----何十年も前のバイクをレストアするのは難しいのでは?
アメリカは車やバイク、音楽にも大らかさがあります。大陸も広いし、長さの単位もセンチの2.5倍のインチ。そういう感覚の元にプロダクトが生まれ、彼らのライフスタイルがある。僕らはそれを外から見ているから、いいところだけをつまめるんですよ。ビンテージ・ハーレーでいえば日本人はやはり器用だから、修理の方法もすごく細かい。アメリカの田舎道では走れば調子が良くても、渋滞の多い日本の交通事情では持ち堪えられない。30年前の日本では古いハーレーを直せる人は少なかったと思うんですよ。ですが、僕らがみんな経験を積んでスキルが上がって完璧に近いレベルの修理が出来るようになった。いつも間にかアメリカ人より修理技術と仕上げが上に行っている部分もあるんですよね。ただ、そのアメリカの大地が造り出す大らかさだけは日本では成し得ない部分。だからいつまでも追いかけているのだと思う。
アメリカはもとより世界でも、ブルーグルーヴのようにビンテージ・ハーレーを突き詰めたショップは少ない。海外からも毎週のようにファンが訪ねてくる。
-----ビンテージ・ハーレーは人気があるんですか?
日本はもちろん、海外からもこのショップにはお客さんが来ますね。ビンテージ・ハーレーの価値も高まっています。1936年の工場出荷のままのハーレーナックルヘッドの現存数はおそらく世界に5台ぐらいですが、その1台が7、8年前に本国のオークションに出された際は、アメリカの有名ロックミュージシャンが落札し、当時で75万ドルだったと言われています。今はそれ以上の価値があるもの。「あの何年式のハーレーはあそこにある」と世界のマニアが把握している状態ですね。
-----それにしてもアメリカ大陸を横断して買い付けるとは、手間も時間もかかりますよね。
ビンテージ・ハーレーを扱うショップは日本にも何店舗もありますが、毎年のようにアメリカを横断しながら買う、というのは世界でも僕くらいしかいない。今となっては、アメリカ人ですら中々いないわけですよ。それを僕が日本から来てやっているものだから、「お前はクレイジーだな」ということで、皆よくしてくれるところもあります。ただ「命がけ」のロードトリップも沢山ありますよ。
-----えっ、命がけ!?
アメリカの田舎街へ行けば、未だに銃社会。買い付けは、ほとんどがキャッシュディールですから、かなりの用心をする。その様なエリアへ行けば銃声を聞くこともあれば、気を抜けば買い付けをしたばかりのハーレーが満載のトラックを盗まれかねない。亭主はインターネットもメールもやらないようなおじいさん達。中には「日本に持って帰るなら売らねえぞ」なんて言う人もいるわけです。でも、たいていそんなオールドバイカーのガレージにギターがあるからブルースを弾くと、もう「お前はオレの息子だ」みたいにコロッとなることも(笑)。そこがアメリカ人のいいところでもある。とにかく毎回イーストコーストからカルフォルニアに着いた時の旅の安堵感は、やっと肩の荷が降りるといった感じです。
-----そこまでして追い求めるビンテージ・ハーレーの魅力とは?
車もギターもビンテージが好きですが、やはり唯一無二な存在だからですよね。自分達にとってはそれが最高にクールだと思えて、それを越えるものがないわけです。その時代にしか作れなかったシェイプですからね。ですが、今アメリカの日常からもそのような古き良き時代のモノが消えてしまっている。だから、去年も1964年のシボレー・エルカミーノでカルフォルニアを旅しましたが、フリーウェイで古いアメ車に乗っているのなんて自分だけ。街からも昔ながらの景色が消えてしまっている。だから、今となって、アメリカ人もブルーグルーヴまでわざわざ足を運ぶわけですよ。そして、古き良きアメリカをここで再発見するという現象になっている。世界を見渡してもブルーグルーヴの様なスタイルを持ったビンテージ・ハーレー・ショップは少ないんだな、ということをふと気付かされることがある。でも、自分はそういうものを未だに追いかけているワケだけれど、今となっては逆に追いかけられる立場になった。不思議なものですね。
-----何十年も前のバイクをレストアするのは難しいのでは?
アメリカは車やバイク、音楽にも大らかさがあります。大陸も広いし、長さの単位もセンチの2.5倍のインチ。そういう感覚の元にプロダクトが生まれ、彼らのライフスタイルがある。僕らはそれを外から見ているから、いいところだけをつまめるんですよ。ビンテージ・ハーレーでいえば日本人はやはり器用だから、修理の方法もすごく細かい。アメリカの田舎道では走れば調子が良くても、渋滞の多い日本の交通事情では持ち堪えられない。30年前の日本では古いハーレーを直せる人は少なかったと思うんですよ。ですが、僕らがみんな経験を積んでスキルが上がって完璧に近いレベルの修理が出来るようになった。いつも間にかアメリカ人より修理技術と仕上げが上に行っている部分もあるんですよね。ただ、そのアメリカの大地が造り出す大らかさだけは日本では成し得ない部分。だからいつまでも追いかけているのだと思う。
-----何十年も前のバイクをレストアするのは難しいのでは?
アメリカは車やバイク、音楽にも大らかさがあります。大陸も広いし、長さの単位もセンチの2.5倍のインチ。そういう感覚の元にプロダクトが生まれ、彼らのライフスタイルがある。僕らはそれを外から見ているから、いいところだけをつまめるんですよ。ビンテージ・ハーレーでいえば日本人はやはり器用だから、修理の方法もすごく細かい。アメリカの田舎道では走れば調子が良くても、渋滞の多い日本の交通事情では持ち堪えられない。30年前の日本では古いハーレーを直せる人は少なかったと思うんですよ。ですが、僕らがみんな経験を積んでスキルが上がって完璧に近いレベルの修理が出来るようになった。いつも間にかアメリカ人より修理技術と仕上げが上に行っている部分もあるんですよね。ただ、そのアメリカの大地が造り出す大らかさだけは日本では成し得ない部分。だからいつまでも追いかけているのだと思う。
日本はもとより世界から注目を集めるブルーグルーヴをプロデュースするTAKAさん。バイクの買い付けのためにアメリカ大陸を飛び回る忙しい日々を送っている。
眠っているハーレーに再び命を吹き込む
ビンテージ・ハーレーを通じて夢を届けたい
-----そもそもハーレーに興味を持ったきっかけは?
音楽一家だったこともあり、BLUESやR&B、JAZZなどのアメリカンルーツ音楽やビートルズなどの音が自然に耳に入ってくる環境で育ちました。13歳でギターを弾き始め17歳の頃には都内のブルースクラブで大人達に混ざり演奏をしてギャラももらっていました。そのクラブやそこに集うミュージシャンや人々の空気感がすごく好きだった。ある日、そのクラブに古いハーレーに乗ってくる人がいて、目の前で初めてキックを踏み降ろしエンジンを掛ける姿をまじまじと見た時にはピンとくるものがあったんです。アメリカの音に既に親しんでいたせいか、憧れもあり自然な流れですかね。ハーレーに初めて乗ったのは19歳でした。
-----それが今の仕事につながっている。
好きなことが一つあれば、それをとことん突き詰める。もうそれだけで生きていけることを早い段階で音楽やハーレーの世界から学んだ。それに情熱と信念さえ持って本気で取り組めば、必ず道は拓ける。それを見つけられた自分はラッキーだと思います。特に僕よりももっと若いこれからの世代の方々にもそういうものを持って欲しいし、必ず持てるものですからね。僕の場合それがたまたまハーレーと音楽だったということですね。
-----仕事のやりがいは?
お客さんに夢を届けることです。ほとんどの日本人はアメリカ大陸を旅してバイクを探すことなんて出来ないから、僕が代わりにそれをやる。アメリカ人でさえ「いつか大陸を横断することが夢だ」と僕に言う。僕らはもちろん古いハーレーを修理して販売しているわけですが、本当はお客さんに夢を買ってもらっているんです。その対価を頂いている。ちょっと大袈裟な言い方かもしればいですけど、「生き方」を見せることが僕の仕事であるとも思うんです。それで何か勇気を与えられたら。
-----新しいプロジェクトは何かありますか?
アメリカに行くたびに同じパッションを持った友人や仲間が増え、コミュニティーはよりタイトにそして広がっていくので、このビンテージ・ハーレーのバイヤー仕事はいつまでもリタイヤ出来そうにありません。現在はアメリカで新たに発掘した世界的に価値のある車両を、日本のみならず世界の相応しい新たなオーナーの元へ届ける仕事がアメリカサイドと一緒にスタートしそうです。
鎌倉のブルーグルーヴのショップには世界中から人が集まりますので、外国人向けのハーレーのレンタルや、鎌倉のローカルスポットから箱根辺りまでのランチを挟んだ1DAYのバイクツアーや、宿泊やイベントが行えるスポットやコミュニティーの環境整備など、先ほど話した「夢を届ける仕事」から得たことを、より体験型のサービスに転換出来ればと考えています。ビンテージ・ハーレーを通じて得られた人生の時間は僕の財産です。これからは、それを少しでも世界中の同じバイブスを持った皆さんと共有出来ればと思っています。
-----それは楽しみですね。TAKAさん自身の夢は?
夢は常に持っています。ゴールは自分達の次の世代に何が残せるか。バイクも音楽もそうですけど、カルチャーを次の世代に継承できた時、それが初めて成功したと言えると思うんですよ。例えば50年も持っていたバイクを自分に売ってくれるわけですよ。その人は1960年代のベトナム戦争の終わりぐらいに、ベトナムから帰って来て手に入れた。その後、75歳くらいになって、誰にも売らなかったバイクを僕に譲ってくれる。それを引き継いだからには、僕はキッチリと直さなければいけない義務がある。何十年後に次の人が分解すれば、僕らがどんな仕事をしたのか分かりますからね。こうやってビンテージ・ハーレーというのは人間より長生きしていくわけです。
僕はベイエリア ( サンフランシスコの沿岸地域 ) が大好きなんです。ずっとアメリカ中を旅して来ましたが、街に「空気」があるところが好きなんです。つまりキャラクターやスタイルがある街ですね。ベイエリアは今でもいいバイブスを忘れていなくて、すごくカルチャーがある。音楽もそうだし、バイクも未だにチョッパーというカスタムされたハーレーの文化が根強く残っている。ベイエリア生まれのテイラー スティッチにも同じバイブスを感じます。例えば、僕らはジーンズをすごくハードに履く。バイクの整備をする時は、常にヒザをついているからすぐに穴が空いてしまうし、オイルで真っ黒にもなる。ただ僕らのそんな使い方にも、すんなり馴染んでくれるテイラー・スティッチのプロダクトは繊細でありながら武骨さも持ち合わせている。そこにはモノづくりに対するフィロソフィーやベイエリアカルチャーまでをも感じとることが出来る。僕は使い捨てのモノより、修理しながらでも長く自分の人生と共に歩めるモノをそばに置いておきたい。テイラー・スティッチにはそんな魅力を感じています。
眠っているハーレーに再び命を吹き込む
ビンテージ・ハーレーを通じて夢を届けたい
-----そもそもハーレーに興味を持ったきっかけは?
音楽一家だったこともあり、BLUESやR&B、JAZZなどのアメリカンルーツ音楽やビートルズなどの音が自然に耳に入ってくる環境で育ちました。13歳でギターを弾き始め17歳の頃には都内のブルースクラブで大人達に混ざり演奏をしてギャラももらっていました。そのクラブやそこに集うミュージシャンや人々の空気感がすごく好きだった。ある日、そのクラブに古いハーレーに乗ってくる人がいて、目の前で初めてキックを踏み降ろしエンジンを掛ける姿をまじまじと見た時にはピンとくるものがあったんです。アメリカの音に既に親しんでいたせいか、憧れもあり自然な流れですかね。ハーレーに初めて乗ったのは19歳でした。
-----それが今の仕事につながっている。
好きなことが一つあれば、それをとことん突き詰める。もうそれだけで生きていけることを早い段階で音楽やハーレーの世界から学んだ。それに情熱と信念さえ持って本気で取り組めば、必ず道は拓ける。それを見つけられた自分はラッキーだと思います。特に僕よりももっと若いこれからの世代の方々にもそういうものを持って欲しいし、必ず持てるものですからね。僕の場合それがたまたまハーレーと音楽だったということですね。
-----仕事のやりがいは?
お客さんに夢を届けることです。ほとんどの日本人はアメリカ大陸を旅してバイクを探すことなんて出来ないから、僕が代わりにそれをやる。アメリカ人でさえ「いつか大陸を横断することが夢だ」と僕に言う。僕らはもちろん古いハーレーを修理して販売しているわけですが、本当はお客さんに夢を買ってもらっているんです。その対価を頂いている。ちょっと大袈裟な言い方かもしればいですけど、「生き方」を見せることが僕の仕事であるとも思うんです。それで何か勇気を与えられたら。
-----新しいプロジェクトは何かありますか?
アメリカに行くたびに同じパッションを持った友人や仲間が増え、コミュニティーはよりタイトにそして広がっていくので、このビンテージ・ハーレーのバイヤー仕事はいつまでもリタイヤ出来そうにありません。現在はアメリカで新たに発掘した世界的に価値のある車両を、日本のみならず世界の相応しい新たなオーナーの元へ届ける仕事がアメリカサイドと一緒にスタートしそうです。
鎌倉のブルーグルーヴのショップには世界中から人が集まりますので、外国人向けのハーレーのレンタルや、鎌倉のローカルスポットから箱根辺りまでのランチを挟んだ1DAYのバイクツアーや、宿泊やイベントが行えるスポットやコミュニティーの環境整備など、先ほど話した「夢を届ける仕事」から得たことを、より体験型のサービスに転換出来ればと考えています。ビンテージ・ハーレーを通じて得られた人生の時間は僕の財産です。これからは、それを少しでも世界中の同じバイブスを持った皆さんと共有出来ればと思っています。
-----それは楽しみですね。TAKAさん自身の夢は?
夢は常に持っています。ゴールは自分達の次の世代に何が残せるか。バイクも音楽もそうですけど、カルチャーを次の世代に継承できた時、それが初めて成功したと言えると思うんですよ。例えば50年も持っていたバイクを自分に売ってくれるわけですよ。その人は1960年代のベトナム戦争の終わりぐらいに、ベトナムから帰って来て手に入れた。その後、75歳くらいになって、誰にも売らなかったバイクを僕に譲ってくれる。それを引き継いだからには、僕はキッチリと直さなければいけない義務がある。何十年後に次の人が分解すれば、僕らがどんな仕事をしたのか分かりますからね。こうやってビンテージ・ハーレーというのは人間より長生きしていくわけです。
僕はベイエリア ( サンフランシスコの沿岸地域 ) が大好きなんです。ずっとアメリカ中を旅して来ましたが、街に「空気」があるところが好きなんです。つまりキャラクターやスタイルがある街ですね。ベイエリアは今でもいいバイブスを忘れていなくて、すごくカルチャーがある。音楽もそうだし、バイクも未だにチョッパーというカスタムされたハーレーの文化が根強く残っている。ベイエリア生まれのテイラー スティッチにも同じバイブスを感じます。例えば、僕らはジーンズをすごくハードに履く。バイクの整備をする時は、常にヒザをついているからすぐに穴が空いてしまうし、オイルで真っ黒にもなる。ただ僕らのそんな使い方にも、すんなり馴染んでくれるテイラー・スティッチのプロダクトは繊細でありながら武骨さも持ち合わせている。そこにはモノづくりに対するフィロソフィーやベイエリアカルチャーまでをも感じとることが出来る。僕は使い捨てのモノより、修理しながらでも長く自分の人生と共に歩めるモノをそばに置いておきたい。テイラー・スティッチにはそんな魅力を感じています。
TAKA YASHIRO
BLUE GROOVE 代表
1977年生まれ。神奈川県横浜市出身。2002年、ビンテージ・ハーレーダヴィッドソンのスペシャルショップ「ブルーグルーヴ」を鎌倉にオープンさせた。半世紀以上も前のハーレーを丁寧にリビルド・レストアするクラフトマンシップに、日本はもとより海外からも高い評価を受ける。ブルースギターリストとしても活躍し、ライヴ演奏も行う。
Produced by Taylor Stitch Japan
Photo by Taisuke Yokoyama
TAKA YASHIRO
BLUE GROOVE 代表
1977年生まれ。神奈川県横浜市出身。2002年、ビンテージ・ハーレーダヴィッドソンのスペシャルショップ「ブルーグルーヴ」を鎌倉にオープンさせた。半世紀以上も前のハーレーを丁寧にリビルド・レストアするクラフトマンシップに、日本はもとより海外からも高い評価を受ける。ブルースギターリストとしても活躍し、ライヴ演奏も行う。
Produced by Taylor Stitch Japan
Photo by Taisuke Yokoyama